「何も聞かないんだね」
昨日、雨模様と向かい合って聡が座っていた場所。まさにその場所に、今日は別の男子生徒が静かに腰を下ろしている。
西洋と東洋の良いところだけを受け継いだかのような、甘くとも甘すぎない絶妙な顔立ち。転入当時は短く切り揃えられていた髪の毛が、今は少し伸びてきている。
サラリとした前髪を無造作に払いのけ、山脇瑠駆真はゆっくり瞬いた。
彼の言葉に思わず顔を上げた美鶴は、その瞳を避け、再び視線を教科書へ落す。
「気にならない……ってワケか」
少し落した声音は、心なしか落胆を含む。さすがの美鶴も、気付かないワケではない。だが……
「何が?」
気にしていると思われて、相手を喜ばせたくはない。美鶴へ寄せる瑠駆真の想いを、悪戯に狂喜乱舞はさせたくない。
飽く迄素っ気ない対応の美鶴に、瑠駆真は少しだけ口元を笑ませた。
「昨日、どうしてここに来なかったのか?」
そこで一呼吸置き、自嘲する。
「もう知ってる……… か」
昨日の放課後、校門で瑠駆真の所在を尋ねる黒人女性の姿と、その後その女性と一緒に下校する瑠駆真の姿。それは何人もの生徒に目撃されていた。
瑠駆真も聡と同様、多数の女子生徒の視線をガッチリと掴んだ(というか彼女たちの方が勝手に捕まった)存在だ。故に今日は、事の説明を要求する女子生徒が殺到し、瑠駆真の周囲は朝から大変な騒ぎだった。
美鶴が知らないワケがない。
「誰か……… なんて、聞かないんだね」
再び落胆を含んだ声で問われ、美鶴は唇を噛む。
聞いてくれと言っているのはバレバレだ。瑠駆真の方も、その意図を隠すつもりはないのだろう。
「誰って、名前はメリエムでしょうっ?」
「……… そうだね」
言葉少なにそう答え、だが声音はもっと言いた気だ。
…………… ちっ!
美鶴は瑠駆真の、こういう的を少し外したような言い回しに、どうも慣れない。
聡のように直球ストレートで投げてくれれば、こちらもガツンと打ち返してやる。だが瑠駆真の球は、打ち返し方がわからない。
わからないまま打ち返して、今までに何度あっさり打ち取られたことか………
いつも最後には言いくるめられ、瑠駆真のペースに嵌ってしまう。
無視だっ! 無視っ
そう自分に言い聞かせる。なのに、憂いを含んだ瑠駆真の声が耳に残り、さっぱり教科書に集中できない。
瑠駆真の声は、美鶴の胸に漣を立てる。
きっともうすぐ、聡が来る。そうしたら、こんな不安定な雰囲気も吹き飛ぶ。それまでの我慢だ。
だが、美鶴の心内を読んだのか。それとも諦めて話題を変えたつもりなのか。瑠駆真の口から聡の名前が滑り出てくる。
「昨日は、聡と二人っきりだったんだ」
「………… そうだけど」
「何もなかった?」
「?」
何も ……って 何も ……って
何もって、何だよっ!
顔をあげてしまった。
視線がぶつかり、後悔した。
瑠駆真の瞳には、力がある。
長い睫毛が影を落す、円らで艶やかな黒い瞳。美鶴のそれよりもよほど魅力的なその瞳に強く見つめられると、どうしても視線を逸らすことができなくなる。
「何もって、何?」
反応してしまった以上、今さら後に引くことも出来ない。ならば、強く問い返すことで現状打破を狙う。
「別に? ただ、何もなかったのかなぁ〜 と、思っただけ」
「だから、何も? って、何よっ!」
「そんなに怒らなくてもいいんじゃない? 僕の居ぬ間に先越されなかったかと思っただけさ」
「何がどうなれば先を越したことになるワケ?」
美鶴の言葉に瑠駆真は一瞬思案し、やがて無駄のない動きで右手を伸ばした。
――――っ!
頬に触れる直前に身を反らし、慌てて立ち上がる。
ガタリと鈍い音がして、椅子が倒れる。
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